はつこいは叶わない

私の初恋は小3のときだった。

初恋は叶わないという言い伝えはあるけれど、私はこの言い伝えを跳ね除けるようにして初恋を叶えた。

中3の運動会の前、受験戦争が始まる前のことだった。

 


受験勉強に対し「過ぎたるは猶及ばざるが如し」という言葉を遣うところや、

ものの例えに万葉集を引用してくるようなところが、なんとなく知性を感じて好きだった。

 


私は県内の高校に、彼は県外の高校に進学した。

どんどん連絡頻度は落ち、会うことも、電話することも、メールすることも無くなった。

そうして何ヶ月か過ぎ、高校の最初の期末テストのときのメールを最後に私たちは終わった。終わったというより、消えて無くなった。

想いが叶うまで6年間、想いが叶ってからたったの1年間。

私たちの7年間は、ここで終わった。捨てられたのだ。

 

 

 

それから12年の年月が経った。

初恋の男に捨てられ、女の世界でひどい目に遭い、やがて精神を病み、闘病し、

それでも大学を卒業し、就職し、今は仕事や人間と毎日闘っている。

闘うことが多過ぎて、彼のことなんて忘れていた。風化していた。

とっくに平成に置いてきたものだと思っていた。

 


こんな言葉は間違いだと思っていた。

「会いたい」なんて、あなたが言える言葉じゃない。

 


過去の清算も終わってないくせに。

私を捨てていったくせに。

歪ませたの、誰だと思ってんのよ。

こっちはその後処理がまだ終わってないのよ。

毒にまみれた感情が噴出した。

 

 

許してあげたくても、今はまだ許してあげられない。

一緒にお酒を飲みたくても、今はまだ喉を通らないでしょう。

 

 

それでもいつか、と願わずにはいられない。

ふたりで「久しぶりだね」と言える日を。

失声症説が流れた話

風邪をこじらせて、声帯炎になった。

何日ものあいだ声が出なくて仕事にならなかったのだけれど、冗談でこんな説が出ていたらしい。

 


「雨ちゃん、失声症かもね」

 

 

 

*

 

 

 

自分の仕事をしながら他人の仕事を見るのはとてもハードだ。去年より人数的には楽になったはずなのに、全く楽にならなかった。

「絶対に間違えてはいけない」というプレッシャーが酷かった。

 


去年の春、はじめての繁忙期を終えた異動数ヶ月のわたしは、上司命令で「ジャッジをする人」かつ「BtoBの契約をする人」になった。

あくまでも「上司命令」だ。

 


もちろんわたしは抵抗した。

まだ入って数ヶ月でそんなことが出来るわけない、そういうことはこれまで上の人がやってきたし、上の人がやるべきだと正論を言ったと思う。

けれど適性の問題だからと上司はわたしに仕事を命じて、わたしはその命令に忠実にやってきた。

出来ることが増えて、少しでも楽にまわるならその方がいいよねってわたし自身も思ってた。

 


でもこれが間違いだった。

1年も気づかなかったわたしもすごいけれど、これがものすごい批判を受けていた。


「なんであの子が?」

「そんな年次でもないしこんな仕事なんか出来るはずない」

「絶対におかしい」

と言われていたそうだ。

 


うちの会社みたいな典型的トップダウン組織で、わたしの声が通るわけがないでしょう。

わたしがやりたいって言ったんじゃないの。

上司が適性を判断してわたしに仕事を振ってるの。

だったらあんたがやれよ。

もっと自分の首絞めてやれよ。

なんならわたしが絞めてやろうか。

あんたがやればわたしは毎日1時間は早く帰れたよ。

おかしいだのなんだの言う前に、あんたの上司でもある私の上司に、「あの子じゃあの仕事は出来ない」って言えばよかったじゃない。

 

 

この話を居酒屋で聞いた私は、目の前が真っ暗になった。そしてもともと風邪をひいて枯れていた声は、この次の日に全く出なくなった。

そして失声症説が流れていた。

 

 

結果、何をどうこう言われようと、妬まれようと恨まれようと、上司のストップが入るまで私はジャッジをする人であり続けるし、閑散期になればまたBtoBの契約にも携わることになるでしょう。

そして私は可能な限り忠実に応えるし、可能な限り正確にやろうとするでしょう。

 


たとえどんな悪口を言われ、無視をされても。

それがわたしの仕事に対してのプライドだから。

 

(そしてわたしがいなくなったあと、全員で苦しめばいい)

 

 

宅建業法第37条の規定に基づき、次のとおり説明致します

そんな文言はありません。35条(重説)ならあるけれどね。

 

昨年異動になり、時の流れに流されるように接客を始めた。

なんだかんだ自分でやりきるタイプだったので、今日みたいなことは初めて、だ。

フォローとクローザーで、上司についてもらうなんて。

 

同業のおじさんで、第一印象からかなりヤバイ感じだった。

今日こそヘルプお願いするかもなとも思った。

まあそのとおりで、35条説明のときからバタバタし始めて、いざ37条説明始めろって言われても、古典でも読んでるかのように、言葉のひとつひとつを取り上げて突っかかってくる。ちなみに35条説明のときはそんなことはなかった(説明してるのは男性課長職)。

 

知識のない若いおねえちゃんにしか見えなかったんだろう。

こんな風に同業のおじさんに重箱の隅をつつかれるように説明を求められることがたまにある。

切り返せない自分が悪い。もちろん。

そして締めに、「社会の波に揉まれろ」なんて言われた日にはたまったもんじゃない。

 

こんなとき思う。

「とっとと年を取りたい」

 

そして私は初めて、生まれて初めて、クローザーになりたいと思った。

ピンチのときに取りまとめ出来る人に、知識と経験を持った人になりたいと思った。

 

営業のとき、「あめは説明上手だけど説明屋さんになっててクロージングが足りない」って上司さんに言われたり、「あめは途中まではいけるけどクローザーにはなれない(自力契約できない)」って言われたのを思い出した。

だって営業のときは自分がクローザーになるなんて考えたこともなかった。

私はあくまでもアポインターで、クローザーは自分の仕事じゃないって思ってた。

でも、クローザーに限りなく近くならないと、今の業務で多くの案件をこなすことは出来ないと思った。

 

私すごく会社を辞めたいのに、すごくクローザーになりたい。知識と経験を持ったクローザーに。今の業務のクローザーに。

 

(答えられなかった部分の説明が書いてあるプリントが、蛍光ペンつきでデスクに置かれていた。ねえなんであんたは私を焚きつけるようなマネするの、私負けず嫌いなの)

 

 

 

 

 

 

 

たて・よこ・ななめ

上司に呼ばれると、ペンと紙を持ってデスクの側に行くのが私の常だ。

 


「お前今日なんかあるの」

「特にないですね~」

「19時までに仕事を終わらせろ」

「!?無理です」

「うるせえ終わらせろ」

19:00エントランス集合、と送られてきたメールには書いてあり、今度は何を怒られるんだと鬱々としていた。

 

 

 

結論はただの飲み会。

部署のひとたちと、それ以外の仕事で関わってるひとたちが混ざって、食べて、飲む。

ごはんが美味しくて、お酒も良い感じに甘くしてもらえてとても良かった。

すごく久々に30品目食べた気がする。

 


それ以上に良かったことがいくつかあった。

いつも仏頂面の怖すぎる上司が柔和になっていたこと。

普段仕事でしか関わらないひとたちと話せたこと。

仕事をどういう風に教えてまわしていくか、みんな考えているということを知れたこと。

 


業務のマニュアルあるといいなあと思っていたのだけれど、まさか上の人たちが考えてるとは思わなかった。実現化する日も近いかもしれない。

 


あとこれは指摘されたけれど、グループの横のつながりが弱いのも事実なので、これは強くしていけるといいなあと思う。

自分のやっている業務以外のことは分からないものなので、全体を見る・理解するという意味でも良いことだし、部署のパワー向上にも繋がるはず。

 


別部署のおとこのひと、飄々とした感じかつかわいいおんなのこ大好き!なひとなので敬遠していたけれど、仕事のやり方、ワンクッション置くとかが上手すぎて見習いたい。

 

 

 

帰りは女4人で寒い雨の中タクって帰宅した。言語化出来ないけれど、この帰り方がとても好きだ。きゃいきゃいしてるときもあれば、まったり静かなときもある。昨日は前者だったけれど、良い時間だった。みんな降りたあと先輩ともサシで話せた。

 


その人の過去を知ることで、そのひとが少し分かるようになる気がする。分かったつもりかもしれない。でもそれでも、何も知らないよりは良い。

「先輩に敬意を」という言葉は私の大嫌いな言葉のひとつだけれど、荒波に飲まれ乗り切ってきたことは素直に尊敬出来る、と思う。

 

 

 

仕事がきついときに、こんなことがあったんだよと忘れないように書き残しておくための文章でした。

めちゃくちゃ寒いですね。暖房をつけて、あったかくしてお過ごしください。

いっしゅうねん

私事ですが、人事異動から丸1年が経ちました。

 


販売部門の営業職から、管理部門の内勤営業職に異動になった。

販売があんまりにもダメダメで、ダメなら辞めようと思って異動願いを出した。そして20分で、10年ぶりの内勤への異動が決まった。おそらく、少ない伝説のうちのひとつ。

 


すぱっと異動が決まった理由は、まず超絶な人手不足だったから。それと、販売に年単位で居れる(ある意味)精神の強い私が異動することは、壮絶な現場にぶち込んでしこたま働かせるのにちょうど良い駒だったから。

 


それから販売営業時代、出勤時刻の30分前にはきちんと席に着き仕事をしていて、1年目のうちから内線にも出てくる私を管理部長がわりとしっかりものとして認識していたから。

 


さらに、販売時代の上の人が「雨はまわりを壊さないから、異動させてもうまく馴染む」と推してくれたから。

 


そうしていろいろ理由はあったけれど繁忙期突入とともに異動になり、てんやわんやして死にかけながら仕事をしてるうちに独り立ちした。あっという間だった。ものの3ヶ月。

ミスもたくさんしたしわりと怒鳴られたりもしたけれど、おかげさまでそれなりに成長したとは思う。

 


電話応対をしながら自分の仕事を処理し、接客をして、他人の仕事のチェックをしていちにちが終わる。どうやらルーティンワークは嫌いではないようだし、納期短めの仕事もわりと得意なので、管理部門の内勤営業の適性はゼロではなかったらしい。

 


が、この一年人間関係は最悪だった。無視も八つ当たりも相当やられた。まともなプロパーの人間がひとりもいないのだ。

販売も酷かったけど、そんなレベルじゃない。中途入社の人たちが「フロアの空気と人の負のオーラで空気が重たい頭がいたい苦しい」と言い出してしまうレベル。

 


でも、「このひとたちが私の未来の姿」なのだ。絶対に。

 


道徳の心もなく、コミュニケーションスキルもなく、恋人もいなければ友達もいない人たち。はっきり言って、こんな風にはなりたくない。そんな風に育った覚えもない。

 


愛するものには執着し、心底軽蔑するものには心を開かない。もともとそんな性格なのに今は後者の状態なので、生活のために与えられた仕事は精一杯こなすけれど、今後も心を開く気はない。無論上記プロパーの人間と関わる気もないし、繁忙期の処理が終わり次第出て行くようにしたいと思う。

 


ブラック体質はどこまで行ってもブラックで、部署異動しようがどうしようもないのだということがこの一年でよく分かってしまった。

ただそれをしっかり自分の目で確認したので、気は済んだのでよかった。

繁忙期は死ぬほど仕事をして、処理をやりきって、ボーナスは貯金してお給料も使わないように頑張って(無理)、とっとと出て行こうと思う。

 

 

 

……繁忙期の処理終わるの、たしか夏な気がしてきた…………。

頑張れわたし……。

平行線

小さなころ、両親と旅行に行くときは夜中に車で出発して朝焼けと同時に羽田空港に着き、戻るときはぴかぴかに光る首都高を走り、夜遅くに家に着くという予定で旅行に行くことが多かった。羽田空港の近くのパーキングで観る朝焼けと、夜の首都高の宝石のような綺麗さを20年経った今でも覚えている。

 

「瑠璃子とゆりは方向が同じだから同じタクシーで帰ること。役員からの業務命令」

万札をひらひらさせた部長が告げた命令は、今の私たちにとって地獄だった。


私とゆりは、二度と交わらない平行線の世界でで生きてゆくと決めていた。

 

タクシーの後部座席に乗り込み、場所を告げる。

豪徳寺

「そのあとに喜多見へ」

ゆりが喜多見に引っ越したなど全く知らなかった。前の家が更新なのは知っていたけれど、まさか私の家の近くに引っ越してきていたなんて。


「なんで人の通勤圏内に住むのよ」

「出社時間全然違うんだからいいでしょう」

「今営業は何時なの」

「少なくとも8時だよ」

璃子の居た時は8時半だったけど、あんたが異動してから変わったのよ、あんたら内勤のようにのんびりやってないのよという言葉が乗っているのに気づく。

「営業部はお忙しいですね、クソみたいな仕事してるくせに」

ゆりはそっぽを向いて窓の外を見ていた。

 

 

 

このあと大好きなきらきらした首都高に乗りながら喧嘩をし、やっぱり二度と交わらない世界線で生きて行くとなるのが結末ですが面倒なのでもういいです。←

 

夏休みでした。

台風から始まり、ナイトプールに行き、パブで飲み、カラオケに行き、岩盤浴と温泉に行き、友人に5年ぶりに連絡を取り、地元でべろべろになるまでコロナを飲んで終電で帰り、池袋カフェめぐりでシメる夏休みだった。


プール10年ぶりに入ったのですが、元々水泳やってて泳ぐの好きだったのでめちゃくちゃ楽しかった。三つ子の魂百までというやつなのでしょう。定期的に室内プールで泳ぐようにしたい。


ひまわり氏とドライブがてら岩盤浴に行き温泉に入った帰り、5年ぶりに男友達に連絡を入れた。

メンタルやられて休職中とのことでびっくりしたけど、本当にこの手の病気は「明日は我が身」だと改めて実感した。怖い。

今度東京で飲む約束をしたので、またそのときにでもゆっくり話が出来ればと思う。


ひまわり氏とせんせいと飲みながら仕事の話、恋愛の話をする。

近年のせんせいはとてもしっかりしていて好ましい。昔が嘘のように、本当に先生になってしまった。

せんせいに会社で先輩に無視されていることを話したら「女子中学生の部活によくあるやつだよなー、最後に全部自分に返ってくんの。俺は辞めればいいと思う」と呟いていて、「最後に全部自分に返ってくる」という彼の言葉でもう少し頑張れるかなあ、と思うなどした。


最終日は松浦弥太郎氏の本を読んだ。

丁寧な暮らしという感じの人間ではないけれど、ひととして忘れたくないことが書いてあるのでこれからも読み続ける。


モレスキンを買って考え事をした。

したいこともやりたいこともやらねばならないこともたくさんあって順番が付けられなかった。全部同時並行で出来たらどんなに良いだろう。

転職活動、引っ越し、それに伴う貯金、日々の暮らしの向上、自分磨き。

きちんと出来たら、私は自分の好きな自分になれると思う。恋をするのはきっと、それから。


いろんなことを考えたらお腹が痛くなってしまった。やっぱりきちんと病院行かねば……。確実に弱っている。

愛しかた

どういう風に愛したいかと考える機会を与えてくれたのは、何の気なしに観たAVだった。

 


おんなのひとがひとりでしていて、絶頂に達して体液を溢れさせてしまうというシチュエーションだったと思う。

夢中になって、全てをさらけ出して、なにもかも忘れて、相手を信頼して、気持ち良さに浸る。

 

 

 

元恋人は抱く側になると、とにかくくすぐるように優しく触れてきた。手、腕、鎖骨、胸。

少し物足りなくも感じたけれど、その物足りなさが焦らされているようで気持ち良くて好きだった。だんだん的確なところに触れてきて、今までにない経験だったけれど溢れてしまいそうなくらい気持ち良くなってしまうこともあった。

 


まるで壊さないように、大切にされているようで、泣きたくなってしまうような感覚。

全てを肯定されているような感覚。

今でも思い出しては忘れようとするけれど、どうしても忘れられない。

 

 

 

すべての感覚が私にとっては錯覚の世界だった。

けれど、私のパートナーにはすべて真実の世界にできるように。

溢れさせることをを迷わずに、あの子のようにきつくしがみつけるように。一瞬ではなく、ずっとしがみつけるように。

すべてをさらけ出して、忘れて、また社会に戻っていけるように。

 


そんな風に愛したいと思うのだ。